茨城交通・ひたちなか海浜鉄道の車輌

−日本の鉄道写真館/Gゲージ鉄道模型・風雅松本亭−

●本コンテンツ内の写真、画像、文章など、一切を無断転載することを禁止します。
●下線を引いた文字には、例外なく何等かのリンクを貼ってあります。

茨城交通湊線那珂湊(なかみなと)駅の写真です。2007年(平成19年)5月撮影

以前の茨城交通湊線・茨城線・水浜線であった会社です。茨城交通は水浜電車、茨城鉄道、湊鉄道、袋田温泉自動車の4社を中心に、茨城県内の中小バス会社を戦時統合してできた企業です。戦時統合の根拠となったのは悪名高い陸上交通統制令だったかですが、実際には、それ以前に水浜電車が茨城鉄道と湊鉄道の資本のかなりの部分を確保しているので、いわゆる戦時乗っ取り的なことが行われたわけではありません。

鉄道の方はそれぞれの社名が路線名となり水浜(すいひん)線、茨城(いばらき)線、湊(みなと)線を名乗ります。軌道線の水浜線と、鉄道線の茨城線は既に廃止されています。

不思議なことに、鉄軌道合わせて3路線もありながら、直接に茨城県の交通上の中心とも言うべき水戸駅に乗り入れる路線は皆無です。もっとも、水浜線は水戸駅の前に停留所は在ったし、湊線の車輌は水戸駅まで国鉄線内に乗り入れていたと言う経緯はあります。

結局の処、現存するのは鉄道線の湊線のみで、路線は勝田(かつた)=那珂湊(なかみなと)=阿字ヶ浦(あじがうら)の14.3kmのみです。非電化で旅客営業のみ、日中は単行の気動車が中心となる典型的な閑散ローカル線です。途中駅で交換できるのは車庫の在る那珂湊のみですから、日中閑散時は両運転台の気動車の単行が2編成(=2輌)だけで全ての運用を賄ってしまうことが出来る、何ともささやかな陣容です。更に両終点も1面1線でしかないので、輸送量を増やすには増結以外の方法はありません。

こうやって書くと「阿字ヶ浦は島式ホームで、客扱いできる線路は2本在るだろう」と思われるかもしれませんが、駅舎寄りの線路は実は機廻し専用の線路で、那珂湊方からやって来た列車が入線できるのは駅舎から遠い方の線路のみ、実質的に1面1線でしかありません。駅構内へ入る箇所のポイントはスプリングポイントになっていて、駅舎から遠い方の線路にしか入線できないようにしてあるからです。

上述の通り、日中閑散時は単行の気動車しか走らないのですが、以前に国鉄から海水浴臨レが乗り入れて来ていた名残なのか、那珂湊から阿字ヶ浦までの各駅はホームが相当に長いです。阿字ヶ浦のホームには「5」とか「6」とか言う数字が書き込まれていますので、最大6連程度の列車が乗り入れて来た実績はあるようです。海水浴臨レだから海岸から遠い場所に在る駅に停車させても意味が無いと考えたのか海岸線から離れる那珂湊=勝田間の各駅のホームはかなり短めです。毎年ゴールデンウィーク恒例となった、旧国鉄色車3連がやっと止まれる程度の長さでしかありません。

なお、会社名の読み方は「IBARAKI KOTSU」で、「IBARAGI」と濁らないのが正解です。ご丁寧にアルファベットで社名が車体側面に記入してある車輌があるのですが、自治体としての茨城県も「いばらきけん」であって、「き」は濁りませんが、これが正解です。「いばらぎけん」と濁るのは単なる読み間違いか、さもなければムー大陸にでもあると噂される日本の海外領土?の話です。少なくとも湊線の営業をやっている会社は「いばら“き”交通」であり、この路線が走っている場所は「いばら“き”県」で“き”の音が濁りません。とまぁ、偉そうに書いていますが、30年ほど前に県庁の社会教育主事氏に教わるまで、この一件は全く気がつきもしませんでした。若い時には恥をかいておくべきですな。

御多聞に漏れず、この鉄道も決して業績は宜しくないようで、地元であるひたちなか市を中心とした第3セクターに移管されることになり、「ひたちなか海浜鉄道」と言う名前で再出発しました。

新着!茨城鉄道3号機関車・茨城交通14号機関車
キハ11型(キハ112キハ113)| DT19台車とTR49台車
キハ20型( キハ201キハ202キハ203キハ204)
キハ22型?( キハ221キハ222キハ223キハ2004キハ2005)
ケハ601キハ1000型キハ3710型キハ37100型ケキ102

最初のページ日本の鉄道写真館茨城交通・ひたちなか海浜鉄道の車輌


茨城鉄道3号機関車・茨城交通14号機関車(Feb 23, 2008.)

茨城鉄道3号蒸気機関車と茨城交通14号蒸気機関車、実は同一の車輌です。茨城鉄道の3号機関車が終戦直前に鹿本鉄道(=山鹿温泉鉄道)に貸し出され、終戦後に返却された時には本来の所有者である茨城交通の路線は茨城交通茨城線となっており、同じく茨城交通湊線となっていた旧・湊鉄道の車輌との番号重複を避けるために14号機関車と改番した、と言うのが実態のようです。1951年(昭和26年)に、千葉県に在る川崎製鉄に譲渡されNUS2を名乗り、一生を終えます。現在では、千葉県習志野市内に在る袖ヶ浦東小学校の校庭で静態保存されており、以下の写真は同小学校横の公道より撮影したものです。

茨城鉄道3号機関車(茨城交通14号機関車)の写真です。2008年(平成20年)2月、千葉県習志野市立袖ヶ浦東小学校にて撮影。

この車輌、OAK(オーレンシュタイン・ウント・アーサー・コッペル)が1924年(大正13年)に製造したもので、製造番号は10775となっています。このサイトに写真を上梓している車輌の中では鶴見臨港鉄道の301号機関車とほぼ同時期の車輌と言うことです。輸入商社であるオットー・ライマース商会を通じて日本レールなる会社が注文して保有していた車輌を茨城鉄道が購入したと言うことのようですが、日本レールと言う会社は日本鋼管の販売代理店のような仕事をしていた会社です。鶴見臨港鉄道は沿線に大荷主として日本鋼管の工場がありますので、もしかしたら茨城鉄道3号機となったこの機関車と、鶴見臨港鉄道301号機の間には何らかの関連性があるのかも知れません。

茨城鉄道3号機関車(茨城交通14号機関車)の写真です。2008年(平成20年)2月、千葉県習志野市立袖ヶ浦東小学校にて撮影。

外観上は、、、鶴見臨港鉄道301号機の方は今でもチラっとみただけでOAKの車輌だと判りますが、こちらの茨城鉄道3号機・茨城交通14号機の方はキャブ周りも含め、かなり改造されているようで曰く因縁を調べてみるまではOAK製とは気がつきませんでした。改造がどの時点で行われたのかは定かではありませんが、最終所有社である川崎製鉄自体が鉄道車輌の製作を得意としている会社ですので、1951年(昭和26年)以降に行われた可能性があります。JR津田沼駅前に置いてある川崎製の陸軍鉄道連隊のK2型と雰囲気が似ていますので、改造時期に関しては、私の想像で外れてはいないんじゃないかなと思います。もっとも、私は津田沼の鉄道連隊の機関車を見た際にOAK製じゃないかと一時的に思い込んでいましたから、果たして私のカンが正しかったのか、馬齢を重ねてヤキが回ってしまったのか、定かではありません。

キハ11型(Oct 27, 2007.)

キハ11型は、国鉄のキハ17系の一員であるキハ11型の払い下げを受けた車輌で、両運転台・洗面所付きの車輌です。但し、茨城交通に来てからも洗面所を使っていたかどうかは定かではありません。全長14km程の路線に洗面所付きの車輌が必要かどうか、、、。廃車後は3輌払い下げを受けた内の1輌は解体されてしまいましたが、残りの2輌は国鉄の後身であるJRに引き取られて行きました。元来、キハ17系は払い下げ例が少なく、茨城交通の車輌にしても払い下げ時期がやや遅めだったことが幸いして近年まで営業に使われていたために、結果として保存対象となると言う幸運に繋がったようです。

キハ112(Oct 27, 2007.)

茨城交通キハ112の写真です。2007年(平成19年)10月、JR東日本鉄道博物館にて撮影。

上の写真の車輌は茨城交通キハ112。2007年(平成19年)10月、JR東日本鉄道博物館にて撮影。

キハ112は国鉄キハ1125だった車輌です。現在はJR東日本に引き取られ、埼玉県さいたま市に在る鉄道博物館に保存されていますが、ちょっとびっくり、動態保存車です。茨城交通で廃車になった後にも、整備が続けられていたことが幸いしたようです。この写真は愚息が撮影してきてくれました。

茨城交通キハ112の写真です。2008年(平成20年)9月、JR東日本鉄道博物館にて撮影。

上の写真の車輌は茨城交通キハ112。2008年(平成20年)9月、JR東日本鉄道博物館にて撮影。

反対側の、貫通幌が付いている方です。鉄道博物館内の案内表示には「動態保存車」と言うような表示があります、、、と言うことは、この車輌は自走して大宮駅辺りまで送迎に使うと言うことも可能なんでしょうか?。屋外展示ですが、大きめの屋根が掛けられていますのでそれ程極端に雨晒しになると言う訳ではありません。

キハ113(Oct 29, 2005.)

茨城交通キハ113の写真です。1984年(昭和59年)5月、茨城交通湊線那珂湊(なかみなと)駅にて撮影。

上の写真の車輌は茨城交通キハ113。1984年(昭和59年)5月、茨城交通湊線那珂湊(なかみなと)駅にて撮影。

キハ113は国鉄キハ1126だった車輌で、それ以前の車番はキハ48036です。現在ではJR東海に引き取られ、静岡県浜松市に在る佐久間レールパークに保存されています。

DT19台車とTR49台車(Oct 27, 2007.)

国鉄DT19台車の写真です。JR東日本鉄道博物館にて撮影。

鋼板をプレス加工した部材を溶接して組み立てた台枠と、ゴムブロックを枕バネに使用したかなり先進的な構想に基づく台車です。動力用台車がDT19、付随台車がTR49です。実際には企画倒れ?と言うか、乗り心地は余り宜しくなかったようで、、、失敗作とは言わないまでも、褒められるものではなかったようです。この台車はキハ11型の前身?である国鉄キハ45000系(キハ17系)やキハ44500系に使用されていますが、それ以前のキハ44000系などで使用されていたDT18の軸距離を短縮したような形状になっています。

DT18の方は直角カルダン駆動の電気式気動車で使用するためにある程度は軸距離が長くしておく必要があったわけですが、液体式の気動車に使用する台車では直角カルダンなんて無関係ですから、実用的になるように軸距離を短縮して使ったと言うのが実情のようです。何も変更しないでそのまま流用しても構わないような気もしますが、床下の賑やかな気動車では部品配置が窮屈なので少しでも軸距離を短くしておいた方が得策なのかも?。軸距離:2000mm、車輪直径:860mm、軌間:1067mmです。

キハ20型(Oct 27, 2007.)

国鉄キハ20型の払い下げを受けた車輌です。キハ11型と車体長は同じですが、この系列以降は、車体幅も普通の電車、客車並になった画期的な車輌です。乗客用扉の配置はご覧のようにやや中央寄りになっており、近郊区間用としては妥当なものだと思われます。但し、このような扉配置ではワンマン運転にはどう考えても不向きです。そのせいもあってか、キハ20型は大部分が現在では休車状態のようです。

キハ201(May 25, 2007.)

茨城交通キハ201の写真です。2007年(平成19年)5月、茨城交通湊線阿字ヶ浦(あじがうら)駅にて撮影。

上の写真の車輌は茨城交通キハ201。2007年(平成19年)5月、茨城交通湊線阿字ヶ浦(あじがうら)駅にて撮影。

車番からも予想が付く通り、国鉄からキハ20型の払い下げを受けた鹿島臨海鉄道のキハ2000型を再度譲り受けて使用していたものです。改造点は正面のオデコ1灯のヘッドライトを腰下2灯にした程度で、この改造は鹿島時代に行われたものです。本来の外観は比較的保たれています。

鹿島臨海鉄道経由でやって来たキハ20型は全部で4輌ありますが、その内のキハ201は廃車同然の姿で阿字ヶ浦駅に留置されています。但し、レールの上に乗ってはいるものの、このレールは本線には繋がっていません。復活の可能性は極めて低そうです。鹿島臨海鉄道経由でやって来た中では、一番状態が悪いかも?。

キハ202(May 25, 2007.)

茨城交通キハ202の写真です。2007年(平成19年)5月、茨城交通湊線那珂湊(なかみなと)駅にて撮影。

上の写真の車輌は茨城交通キハ202。2007年(平成19年)5月、茨城交通湊線那珂湊(なかみなと)駅にて撮影。

これも、国鉄キハ20型の払い下げ車を改造したものですが、こちらは後述のキハ203と連結された状態で、那珂湊(なかみなと)駅の構内の外れに留置されています。

キハ203(May 25, 2007.)

茨城交通キハ203の写真です。2007年(平成19年)5月、茨城交通湊線那珂湊(なかみなと)駅にて撮影。

上の写真の車輌は茨城交通キハ203。2007年(平成19年)5月、茨城交通湊線那珂湊(なかみなと)駅にて撮影。

同じく、国鉄キハ20型の払い下げ車を改造したものですが、上述のキハ202と連結した?状態で那珂湊(なかみなと)駅の構内に留置されています。

キハ204(May 25, 2007.)

茨城交通キハ204の写真です。2007年(平成19年)5月、茨城交通湊線那珂湊(なかみなと)駅にて撮影。

上の写真の車輌は茨城交通キハ204。2007年(平成19年)5月、茨城交通湊線那珂湊(なかみなと)駅にて撮影。

これも、国鉄キハ20型の払い下げ車を改造したものです、那珂湊(なかみなと)駅の構内に留置されています。この車輌がキハ20型の中では最も状態が良いようです。どうも、那珂湊駅の駅舎から離れるに従って程度が悪くなるようです。

キハ22型?(Oct 27, 2007.)

国鉄キハ22型に類似した車輌ですが国鉄出身の車輌は1輌も無く、全部の車輌がかつて北海道に存在していた羽幌炭鉱鉄道と留萌鉄道の出身です。同じような車体形状だし、性能的にもほぼ同様の車輌だからなのか車番末尾は2形式を通じて連番になっています。

キハ221(May 18, 2007.)

茨城交通キハ221の写真です。1984年(昭和59年)5月、茨城交通湊線那珂湊(なかみなと)駅にて撮影。

上の写真の車輌は茨城交通キハ221。1984年(昭和59年)5月、茨城交通湊線那珂湊(なかみなと)駅にて撮影。

元・羽幌炭鉱鉄道のキハ221を、同線の廃止に伴い譲り受けた車輌です。1960年(昭和35年)富士重工製の車輌で、基本的には国鉄のキハ22型と同じ仕様の車輌です。

茨城交通キハ221の写真です。2007年(平成19年)5月、茨城交通湊線阿字ヶ浦(あじがうら)駅にて撮影。

上の写真の車輌は茨城交通キハ221。2007年(平成19年)5月、茨城交通湊線阿字ヶ浦(あじがうら)駅にて撮影。

2007年現在のキハ221です。かなりボロっちくなってしまいましたが、羽幌炭鉱鉄道時代の塗装に復元されています。イベント的なことを意識しての塗り直しだったのか、塗装色だけでなく、車体側面には「羽幌炭鉱鉄道」の名称が記入されています。

キハ222(June 1, 2005.)

茨城交通キハ222の写真です。1984年(昭和59年)5月、茨城交通湊線勝田(かつた)駅付近にて撮影。

上の写真の車輌は茨城交通キハ222。1984年(昭和59年)5月、茨城交通湊線勝田(かつた)駅付近にて撮影。

上述のキハ221と同様に、羽幌炭鉱鉄道出身のキハ222を引き取った車輌で、こちらは1962年(昭和37年)製です。製造は同じく富士重工です。

茨城交通キハ222の写真です。2007年(平成19年)5月、茨城交通湊線那珂湊(なかみなと)駅にて撮影。

上の写真の車輌は茨城交通キハ222。2007年(平成19年)5月、茨城交通湊線那珂湊(なかみなと)駅にて撮影。

2007年(平成19年)現在のキハ222。黄褐色と濃青の、旧国鉄色に塗装されています。但し、この旧国鉄色は精々キハ45000系(キハ17系)くらいまでで、キハ20系には使用されていなかったように記憶しています。その種の考証を抜きにすれば、この塗装は実に良い雰囲気を醸し出しています。

キハ223(June 1, 2007.)

茨城交通キハ223の写真です。2007年(平成19年)5月、茨城交通湊線那珂湊(なかみなと)駅にて撮影。

上の写真の車輌は茨城交通キハ223。2007年(平成19年)5月、茨城交通湊線那珂湊(なかみなと)駅にて撮影。

キハ221キハ222と同様に、羽幌炭鉱鉄道のキハ22型を引き取った車輌で、茨城交通の現標準色の一歩前の色に塗装されています。現在の標準色とどう違うのかと言うと、車体中央の赤・青帯の位置が大きく垂下しているかどうかと言う、単にそれだけの話です。

キハ2004(July 12, 2008.)

茨城交通キハ2004の写真です。2007年(平成19年)5月、茨城交通湊線那珂湊(なかみなと)駅にて撮影。

上の写真の車輌は茨城交通キハ2004。2007年(平成19年)5月、茨城交通湊線那珂湊(なかみなと)駅にて撮影。

留萌鉄道出身の車輌で、留萌時代からキハ2000型を名乗ります。キハ221キハ222キハ223とは大差無い外観なのに、何故か形式番号がキハ22型からキハ2000型に大きく飛んでいます。それでも車番末尾が通しの連番になっている辺りは、なんとも几帳面です。処がこの番号の付け方は、偶然ながら?留萌時代からのものです。留萌鉄道にはキハ1000型とキハ1100型が合計3車輌あって、キハ2000型はその追い番としてキハ2004とキハ2005を名乗っていたものです。丁度都合が良かったから、改番しないでそのまま使っているようです。

ご覧の通り、旧国鉄準急色に塗装されており、鉄道楽的な好感度は最も高いと思われる車輌です。旧国鉄準急には青帯のものもあるのですが、アレは1等室の部分を青帯にしたものです。従ってキロハのような合造車では車体の途中で帯の色が変わりますが、純粋2等車のこの車輌の場合は、全身赤帯です。

キハ2005(June 1, 2007.)

茨城交通キハ2005の写真です。2007年(平成19年)5月、茨城交通湊線那珂湊(なかみなと)駅にて撮影。

上の写真の車輌は茨城交通キハ2005。2007年(平成19年)5月、茨城交通湊線那珂湊(なかみなと)駅にて撮影。

キハ2004と同じく留萌鉄道出身のキハ2000型の一員ですが、国鉄色に塗ってもらえなかったばかりに趣味的にはさっぱり注目を集められない不幸?な車輌です。塗装はキハ223と類似していますが、キハ3710型キハ37100型と同様に、窓下の赤・青帯が車体裾部まで垂下しきらない、現在の茨城交通標準色に塗装されています。

ケハ601(May 18, 2007.)

茨城交通ケハ601の写真です。2007年(平成19年)5月、茨城交通湊線那珂湊(なかみなと)駅にて撮影。

上の写真の車輌は茨城交通ケハ601。2007年(平成19年)5月、茨城交通湊線那珂湊(なかみなと)駅にて撮影。

有名なセミステンレス車体の気動車で、この車輌も製造元は新潟鉄工所製です。製造当時に流行していた湘南顔で非貫通のために連結運転には不向きですが、元来、この車輌は液体式でありながら総括制御ができないので貫通していても余り意味がありません。そうは言っても単行専用車としてしか使いようがないのでは、現場としてはありがたくなかったのではないかと思います。

現在はご覧の通り、台車を外されたダルマさん状態です。生憎、最近の湊線では日中単行運転が主体ですので、今からならば使い道もありそうです。もっとも、冷房は取り付けていないので、鉄っちゃん以外からは歓迎されそうに無いですが。

茨城交通ケハ601の写真です。2007年(平成19年)5月、茨城交通湊線那珂湊(なかみなと)駅にて撮影。

上の写真の車輌は茨城交通ケハ601。2007年(平成19年)5月、茨城交通湊線那珂湊(なかみなと)駅にて撮影。

正面窓上の小窓2個は、方向幕ではなくて、単なる採光用窓のようです。上の2枚の写真を見比べていただくと判るかと思いますが、左右側面共に同じ方向に扉が開きます。一番勝田寄りの扉と中央の扉は共に阿字ヶ浦方に開き、一番阿字ヶ浦寄りの扉のみが勝田方に開く、と言うことです。

茨城交通ケハ601の写真です。2007年(平成19年)5月、茨城交通湊線那珂湊(なかみなと)駅にて撮影。

上の写真の車輌は茨城交通ケハ601。2007年(平成19年)5月、茨城交通湊線那珂湊(なかみなと)駅にて撮影。

この車輌の正式名称は「600」と言うようです。「ケハ600型」でもなければ、「ケハ601型」でもないようです。尤も実際にはケハ601と呼ばれているようです。後述のケキ102も同様ですが、「ケ」と言う記号を使っていますが、これは軽油動車、軽油機関車と言う意味のようで、要するにディーゼルカー、ディーゼル機関車です。

キハ1000型(Oct 29, 2005.)

茨城交通キハ1000型の写真です。1984年(昭和59年)5月、茨城交通湊線那珂湊(なかみなと)駅にて撮影。

留萌鉄道のキハ1000型を引き取った車輌で、有名なオヘソライトの気動車です。ヘソの中身のヘッドライトは台車の動きに連動して列車が曲がる方向へライトも向きを変えるとか、実はこの話は全くのガセネタとか、諸説あるようです。キハ1000型は留萌鉄道時代に2輌製造され、2輌とも茨城交通に引き取られています。この写真を撮影したのは1984年のことですが、1輌はクリーム色に濃青の帯が入った茨交標準色?に塗装され、もう1輌は濃赤に白帯の入った羽幌炭鉱鉄道色に塗装されています。

キハ3710型(May 25, 2007.)

茨城交通キハ3710-02の写真です。2007年(平成19年)5月、茨城交通湊線阿字ヶ浦(あじがうら)駅にて撮影。

上の写真の車輌は茨城交通キハ3710-02。2007年(平成19年)5月、茨城交通湊線阿字ヶ浦(あじがうら)駅にて撮影。

ちょっと形式番号が変わっていますが、「3710」と書いて「ミナト」と読ませる語呂合わせです。新潟鉄工所製の車輌で2輌あり、3710-01が1995年(平成6年)製、3710-02が1998年(平成9年)製です。

側面の窓配置はdD151D1で、反対側も同じです。要するに、左側片隅式運転台なんですね。乗客用扉の間に窓は7枚ありますが、左右どちらからも1枚目と2枚目の窓柱が太くなっています。この部分は排気管を通すことが出来るように、太くしてあるみたいです。もっとも、この車輌は何処でも見掛ける新潟鉄工所の汎用設計の車体を使っているので排気管の通し場所が4箇所も用意してあるだけであって、実際に排気管が入っているのは阿字ヶ浦方の運転台の直後の1箇所だけです。それ以外の排気管の場所には、単純に座席が取り付けてあります。

車内はロングシートですから身延線のクハ47並に長いですが、実際に排気管を通してある場所のみは座席が途切れていて、その部分には家庭用のゴミ箱が置いてあります。

キハ37100型(May 25, 2007.)

茨城交通キハ37100-03の写真です。2007年(平成19年)5月、茨城交通湊線阿字ヶ浦(あじがうら)=平磯(ひらいそ)間にて撮影。

上の写真の車輌は茨城交通キハ37100-03。2007年(平成19年)5月、茨城交通湊線阿字ヶ浦(あじがうら)=平磯(ひらいそ)間にて撮影。

前述のキハ3710型と同様に新潟鉄工所製で、製造は2002年(平成14年)です。車輌の内容もキハ3710型と大差ありませんが、乗客用扉は半自動動作に切り換えることが出来るようにしてあります。キハ3710からの連番なので車輌番号は-03となっています。従ってキハ37100-01とか、キハ37100-02と言うような番号の車輌は存在しません。後述のケキ102も同様ですが、車種や形式が違っても車番の末尾を連番化するのが茨城交通の流儀であるようです。

ケキ102(May 18, 2007.)

茨城交通ケキ102の写真です。2007年(平成19年)5月、茨城交通・ひたちなか海浜鉄道湊線那珂湊(なかみなと)駅にて撮影。

上の写真の車輌は茨城交通・ひたちなか海浜鉄道ケキ102。2007年(平成19年)5月、茨城交通湊線那珂湊(なかみなと)駅にて撮影。

1957年(昭和32年)に新潟鉄工所で製造された機関車です。1輌しかないのに車番が「102」になっているのは、茨城交通のディーゼル機関車は全て「ケキ100」と言う形式になっており、その2号車だからです。そうは言ってもケキ101とケキ102では全く外観が異なり、ケキ101はL型車体のC型機で、それに対してこのケキ102の方は真っ当なセンターキャブの35tDD機で、180馬力のDMH17エンジンを2基搭載(=360馬力)した、地方私鉄としてはそこそこの強力機です。

茨城交通ケキ102の写真です。2007年(平成19年)5月、茨城交通・ひたちなか海浜鉄道湊線那珂湊(なかみなと)駅にて撮影。

上の写真の車輌は茨城交通・ひたちなか海浜鉄道ケキ102。2007年(平成19年)5月、茨城交通湊線那珂湊(なかみなと)駅にて撮影。

上の写真の反対側、阿字ヶ浦方に向かって左側側面です。

茨城交通ケキ102の写真です。2007年(平成19年)5月、茨城交通・ひたちなか海浜鉄道湊線那珂湊(なかみなと)駅にて撮影。

上の写真の車輌は茨城交通・ひたちなか海浜鉄道ケキ102。2007年(平成19年)5月、茨城交通湊線那珂湊(なかみなと)駅にて撮影。

同じく、阿字ヶ浦方に向かって左側側面です。最下部中央やや左側の楕円形のものが新潟鉄工所の製造銘板です。

茨城交通ケキ102の写真です。2007年(平成19年)5月、茨城交通・ひたちなか海浜鉄道湊線那珂湊(なかみなと)駅にて撮影。

ご覧の通り、現存するディーゼル機関車としては珍しいロッド駆動です。この写真は、阿字ヶ浦方に向かって右側の車輪周りを撮影したものです。

最初のページ日本の鉄道写真館茨城交通・ひたちなか海浜鉄道の車輌
Gゲージ鉄道模型・風雅松本亭(http://g-gauge.world.coocan.jp/)

日本の鉄道写真館 リンク集 無機質なGゲージ日記 Gゲージ鉄道模型・風雅松本亭