●本コンテンツ内の写真、画像、文章など、一切を無断転載することを禁止します。
●下線を引いた文字には、例外なく何等かのリンクを貼ってあります。
江ノ島電鉄は古都鎌倉(かまくら)から藤沢(ふじさわ)までを走るローカルムード溢れる路線、、、とは言うものの現有の車輌は全て冷房完備の連接車で単線ながら12分間隔です。遠鉄(=遠州鉄道)も同様でしたが、単線運転での12分間隔運転は限界に近い数字だった筈です。
一時期、自動車に押されて経営が苦しかったこともあったようですが、自動車の方は数が増えすぎて渋滞が酷くなり、経営努力ともあいまって江ノ電は乗客が戻ってきたと言う話です。現状では鉄道自体も観光資源として昇華していると言えましょう。特に稲村ヶ崎・七里ヶ浜の辺りでは渋滞の激しい国道134号線に隣接して線路が敷設されていることもあって、乗客に対する訴求力は強いように思われます。
以前にボギー車2車輌を比較試験的に改造して2輌連結車と2車体連接車を比較した処、連接車の方が成績が宜しかったと言うことで、以後の車輌は全て連接車となり、現役の車輌は全て2車体連接車です(保存中の108号車は除きます)。
10型と20型| 106型| 300型| 初代500型| 600型| 更新!800型| 1000型| 2000型
最初のページ>
日本の鉄道写真館>
江ノ島電鉄(江ノ電)の車輌
Gゲージ鉄道模型・風雅松本亭(http://g-gauge.world.coocan.jp/)
車番は若いですが、かなり新しい車輌で回顧調の外観をしています。増備車の20型の方は窓上部が円弧を描いた形状になっているのは運転台周辺のみで、側板の窓の上部は円弧を描いておらず一直線です。近代的な外観の2000型と併行して増備されてゆくようですが、この鉄道には向いているのかもしれません。この10型は運転台直後と連結面がクロスシートになっています。
こちらは増備車の20型です。車番が10型は10+50の2車体1編成だけのようで0番車が存在します。20型の方は21+61と、22+62の2編成のようで、こちらは20号とか60号と言う車輌は存在しません。形式番号と同じ車番の車が存在するのは、恐らく10型だけではないかと思います。
外観上の特徴としては、上述の通り側板の窓の上部は一直線です。その他に、運転台正面横の小窓は10型の方は側面に付いていますが、20型の方は正面に回り込んでいます。妻板と側板の繋ぎ目を45度の切り落としにして、その部分に小窓を設けたような構造になっています。
上の写真の車輌は江ノ島電鉄108号。1983年(昭和58年)3月、江ノ島電鉄極楽寺(ごくらくじ)車庫にて撮影。
「タンコロ」と言う愛称がつけられているようですが別に単車ではなくて、単行運転用と言う意味のようです。1931年(昭和6年)に5輌製造された106型と言う2軸ボギー車の最後の1輌です。外観はホームの高床化にともなってステップが切り詰められている点を除けば、純然たる路面電車風です。
同じく106型では106号と109号が2車体3台車の連接車に改造されて、300型に編入されて304+354の編成になっています。
古い2軸ボギー車を改造して2車体3台車の連接車にしたものが300型です。そのために外観は千差万別、、、とまでは行かないもののかなり異なります。301+351から304+354までは旧型車の車体を改造して使っていますが、305+355のみは車体を新造していますので一番近代的な外観をしています。
301+351は1927年(昭和2年)に汽車会社で製造された旧・王子電気軌道(=現在の都電荒川線)の車輌を東京都から譲り受け、1956年(昭和31年)に連接化改造をした車輌です。
302+352の編成と303+353の編成は、1929年(昭和4年)雨宮製の旧100型を、1957年(昭和32年)に連接化改造した車輌です。
304+354は106型の内の106号と109号を、1958年(昭和33年)に連接化改造した車輌です。
改造の際に乗降用扉を車体内側に移設し、乗務員室扉も新設していますので、106型のままで現存する108号とはかなり外観が異なります。大体、この車は昭和初期製造の半鋼製車だったものが今では冷房搭載ですから、随分と出世?しています。
一時的なものかも知れませんが、2004年2月現在、この編成はチョコ電色に塗られています。要するに茶色とクリーム色の塗り分けです。1950年(昭和25年)頃までは、この塗装が標準塗装だたっとのことです。塗り替えるのは鉄道会社の自由ですが、それだったらヘッドマークは車番を隠さない位置に取り付けて欲しいものなんですが、、、。
因みに、ヘッドマークの「チョコ電」の文字の上に書かれているアルファベットは「ハッピー・バレンタイン・デイ」と言うものです。当然?ですがこの写真を撮影したのは2月14日です。
305+355は京王電鉄2000型の台枠を利用して車体や台車は1960年(昭和35年)に連接車をほぼ新製に近い形で作った車輌です。実質的には新車と考えても宜しいでしょう。
欧州調の連接車として有名になった戦後初の新車です。但し、建造費が相当に掛かるために2編成のみで、これ以後の増備?は暫くの間、旧型車改造の300型連接車ばかりが続くことととなりました。
東急世田谷線のデハ80型を購入し、2輌連結の車輌のままで使用していたものです。右の写真は鎌倉向きの602号の連結面を撮影したものですが、ご覧の通り非貫通です。即ち、連結二人乗りのままで使用していたと言うことです。
両端の車体裾部分のみちょっと垂れ下がった感じになっているのは、玉川線時代(=世田谷線になる前)には、東急の軌道線の3扉の電車は両端が低床ホーム用、中央が高床ホーム用となっていたので、その名残だと思われます。この車輌が入線した時点で江ノ島電鉄は既に全線高床式ホームになっていましたから、この車輌もステップ撤去の改造を受けています。
上の写真602号の相棒の601号で、この車輌は藤沢向きです。上の写真と同じ日に撮影したのですが、極楽寺と江ノ島に1輌ずつ留置されていました。廃車が近かったのかも?
本家の東急では80型(=江ノ電600型)は現存しないので、宮坂駅前の静態保存の601号は東急にとっても貴重な存在です。601号は台車も汽車会社製のブリル型のままになっています。
上田交通からモハ2341、モハ2342の2輌を譲り受けてきた電車です。更にその前歴まで辿ると、1948年(昭和23年)に汽車会社で製造された山梨交通モハ7とモハ8、です。右の写真では横須賀線色のような塗装となっていますが、これは映画撮影用にこのような塗装になったようです。昭和20年代の旧塗装のようです。
普通の江ノ電方式?の付番をすると801+851となりそうですが、この系列と前述の600型は601+602、801+802と言う番号になっています。これは、この2形式は連接車ではなくて連結車?であるからのようです。藤沢寄りが801、鎌倉寄りが802です。窓配置は左右非対称で、dD4D5Ddとなります。4連窓を外側にして2輌背中併せに連結して運行されていました。
上の写真の車輌は江ノ島電鉄801号、2006年(平成18年)7月、山梨県増穂町利根川公園にて撮影、ペンタックス/*istDS+SMCペンタックス/DA12〜24mm。
上の写真と同じ車輌を23年後に、旧・長沢新町駅近くの公園で撮影したものです。山梨交通の電車を以前の地元が買い取って静態保存しているものですが、江ノ島電鉄時代のままで保存しているので、山梨交通時代とはかなり様相が異なります。但し、何分にも車番は江ノ島時代の「801」のままですから、山梨時代と違うの違わないのと言い出すような筋合いのものではありません。以下、思いつくままにあれこれと書きます。
この車輌自体は1948年(昭和23年)に汽車会社で製造されたものです。そのせいもあって、製造時期の近い、同じく汽車会社製(ばかりでもないのですが)600型の台車と同じ、ボールドウィン型を履いています。
この車輌が静態保存されている増穂町の利根川公園と言う場所は、富士川街道の「長沢公民館北」と言う交差点よりもちょっとだけ西側です。利根川公園自体はもっと東西に細長いのですが、保存場所は富士川街道からかなり近い場所です。富士川街道自体は、中部横断自動車道の西側を南北方向に走っている道路です。最寄り駅は、、、と言うとJR身延線の市川大門(いちかわだいもん)駅か鰍沢(かじかざわ)駅ですが、とてもじゃないけど歩く気にはなれない程度に距離は離れています。
路線バスは甲府駅5番乗り場を発着する山梨交通の鰍沢営業所のバスが、大雑把ですが元の山梨交通の電車の線路沿いに走るようで、経由地の中に「青柳」と言う文字が見受けられます。恐らくは元の甲斐青柳駅の近くに止まるのだと思います。利根川公園で撮影中に山梨交通の旧塗装色らしき色の路線バスを見掛けましたので、この公園の近くにも止まるとは思いますが、経由地の異なるものを全て合計しても1時間に1本前後の運行本数でしかないようです。
そのような訳で、自動車を使わないことには撮影はかなり困難です。最寄りの高速道路のICは中部横断自動車道の南アルプスICか、増穂ICです。利根川公園の、この車輌が保存されている場所の直ぐ隣には自動車が4、5台は止まれるようになっています。洗面所も直ぐ西側に在るのですが、ご町内を根気良く探さないと食事をする場所を発見できません。高速道路を走っているうちに、何処かのサービスエリアかパーキングエリアで食事は済ませてしまった方が良いように思います。
中部横断自動車道へは中央自動車道の甲府昭和ICと韮崎ICの中間に在る双葉JCTから分岐します。東京方面から走ると甲府昭和IC→双葉SA→双葉JCT→中部横断道の順になります。この経路走ると、高速道路上で食事が出来るのも給油できるのも双葉SAが最終となります。因みに、双葉SAの下り線のレストランを経営しているレストランは山梨交通系列で、レシートを受け取ると「山交」の文字が燦然と印字されています。何気なく食事に立ち寄った店が電鉄会社やバス会社の系列だったりすると結構嬉しいものでして、、、。このコンテンツとは無関係の話ですが、社用車に給油した場合は領収証を添えて出金伝票を書くわけですが、その際の出金先に「***電鉄」とか「**急行電鉄」とか書きたい一心で、わざわざ遠回りしてでも鉄道会社直営のガソリンスタンドに立ち寄っていた知人が私には居ます。鉄っちゃんと言うのはいじらしい心掛けの人が多いですなぁ。
初代500型以来久々の新車で、所謂軽快電車を丸くしたような外観です。但し、厳密に言えば初代500型は改造名義なので、通産すると48年ぶりの新車だったようです。全車輌が東急車輌製だった筈で、同時期に製造された京浜急行のデハ800型に類似した印象があります。とくに窓枠の部分を車内側から見ると、明らかに同一意匠の部材が使用されていることが判ります(同一の部品を流用しているかどうかは定かではありません)。
1001+1051と1002+1052の2編成は、1979年(昭和54年)に江ノ電久々の新造車として颯爽と出場した車輌です。この2編成は出場時は非冷房で、冷房準備自体もされていませんでした。
1101+1151は1981年(昭和56年)に冷房準備車として出場しています。補助電源はMG(=電動発電機)ではなくSIV(静止インバータ)となり、出力も若干増強されました。
1983年(昭和58年)製の1201+1251以降の車輌は前照灯が角型となります。この写真を撮影した時点では、この編成の広告主は明治製菓です。連結相手は時々変わるようですが、この日はチョコ電(304+354)でした。
1501+1551は1986年(昭和61年)、1502+1552は1987年(昭和62年)に製造された車輌で、1000型としては最新・最後の車輌です。江ノ島電鉄初のカルダン駆動車です。
1000型に続く新車で、運転台直後にはクロスシートが設けられています。窓配置は1000型と同一で、運転台周辺を湘南電車的外観の1枚窓にした車輌と考えて宜しいでしょう。他の形式と併決すると明確に判るのですが、この車輌はかなり背が高いです。江ノ島電鉄では2000型のみ下枠交差型のパンタグラフを採用しています。
上の写真の車輌は2053+2003他4連、2003年(平成15年)10月、江ノ島(えのしま)駅にて撮影。
ご覧の通り、1000型とも併決可能です。300型などとも併結可能かどうかは定かではありません。1000型自体は300型とも併結できるようなので、2000型+300型と言う編成も組んで組めないことは無いように思われます。
2000型の中間台車TS830A。多少の相違はあるものの、江ノ島電鉄の新しい車輌は大部分の車輌がこの種の台車を履いています。TSとはメーカーである東急車輛の略号です。
屋根上の写真。妻板直後に白い突起物が見えますが、列車無線のアンテナです。このアンテナの形状は東急の電車のものと同じです。アンテナとパンタグラフと冷房機を除けば何も載っていないも同然のさっぱりとした屋根上です。
2000型は2丁パンタですが、4連となる時は編成中間のパンタグラフは使用せず、両端のパンタグラフのみ使用します。他の系列の車輌も同様です。
最初のページ>
日本の鉄道写真館>
江ノ島電鉄(江ノ電)の車輌
Gゲージ鉄道模型・風雅松本亭(http://g-gauge.world.coocan.jp/)
| リンク集 Links |
無機質なGゲージ日記 Blog |
日本の鉄道写真館 Japanese Railroad Photos |
Gゲージ鉄道模型・風雅松本亭 Index |
|---|